ブラックペアン1988

バチスタスキャンダルから20年近く遡った1988年頃の話。仕立ては、文庫本で上下巻の分冊だ。

ブラックペアン1988(上) (講談社文庫)

ブラックペアン1988(上) (講談社文庫)

ブラックペアン1988(下) (講談社文庫)

ブラックペアン1988(下) (講談社文庫)

自分の就職したての頃も目に浮かび、乾いた懐かしさを感じる。海堂小説でのお馴染みの登場人物も若々しく、とっても生き生きとしていて微笑ましい。やっぱり海堂尊は、ミステリー仕立てじゃない方が面白い。手術シーンも体験者が書いていることで、理解できなくてもリアルさは感じることができる。

いくつかの小説で、同一人物や出来事を多角的に描くことで、それらの違った魅力や驚きを生み出す。時間の流れに逆らわず順序立てて読めば、海堂小説群全体で一つの世界観を醸成する方式だ。いや、これは止まらないね、一連の作品を読み続けてしまう。

この時代、医局制度真っ盛りの頃で懐かしい。新研修医制度のおかげで地方医療はずたずただ。良くも悪くも、医局制度が日本の医療を支えていたことは間違いがない。

それにしてもだ、この文庫版、どうして上下巻に分けるのだ。薄っぺらい分冊(1冊当たり200ページ強)にすることによって、読者への負担は200円近く増える。講談社がえげつないのか海堂尊が姑息なのか、なんにしてもこのことに対しては良心的ではないと感じる。

とにかく薄っぺらい文庫本は寂しい。寂しいが、海堂尊の小説は、文庫本で読むべきである。なぜなら、海堂尊は、単行本を文庫化するに当たって編集者が「いいかげんにしてくださいよ」と愚痴りたくなるほど、たくさんの赤を入れる(徹底した校正をする)からだ。無駄をそぎ落としたモノを読めることになる。