中古本の流通について

年末に次のようなコメントを頂いた。

何はともあれ、今まで廃品回収(現資源回収)に回されてこの世から去っていったまだ役に立つ本達が再び誰かの手に渡り、活用されていく今の方が、地球環境にとっても良いことには変わりは無いと思うんですが、その分、出版している著者達の収入は減ることになる事は、明らかなんですけどね。本の値段は上がっていくのでしょうね。

その通りだなと思う。特に、書籍は、再販売価格維持制度(以下、再販制度)の対象商品であるので、定価販売。したがって、企業努力・競争による価格が下がっていくことはないであろう。法律に守られた業界は発展しない。

理由は再販制度だけではないが、本が売れない、利益が出ない、価格を上げる、ますます本が売れない。悪循環に陥っているが書籍の業界。

本が読まれないと言われているが、本質的にはそうは思わない。読まない人は昔から読んでいないのであって、読みたいと思っている人は沢山いる。読まない理由としては、時間がない、本が高い、他の媒体に移行など考えられるが、「本が高い」という理由は決定的である。どうしようもない。再販制度がある限り、安く提供できないのが現実。

ヲレは本は、借りては読まない。30年間で二千数百冊買っただろう。しかも、新刊書だけを購入してきた。絶対に古本・中古本を手にすることは無かった。

今は、Amazonマーケットプレイスやブックオフから書籍を沢山購入している。なぜなら、独身時代やびっくりするような借金(ローン)を抱えるまでは新刊書が当たり前に買えたのだのだが、昨今の昇級停止、社会保険料や年金、税金・保険・医療費など非購買支出が増大している社会状況では、とてもじゃないが書籍購入に資金を回せないからだ。

ちなみに、新刊書の購入は、年に購入する書籍の1割程度。ブックオフなどでは、何でこんな本が105円などと、ついつい沢山購入してしまう。新刊書の値段で10倍以上の本を手に入れることができる。価値がある本が市場に埋もれているのだ。

逆に読み終わった本や不用な本は、Amazonマーケットプレイスで売り払うようにしている。雑誌・新聞紙以外は、資源回収には絶対に出さない。中古本でもかまわない、本を読みたいと思っている人たちに流通すべきだと考えている。環境的な面も配慮すれば、中古本をもっと活用すべきであると思う。

古本市場は、大きな変革時期を迎えている。ブックオフをはじめとする従来型と異なる気軽な中古本取扱店の進展、Amazonマーケットプレイス・各種オークションによる専門業者でなくても個人が簡単に参加できるIT(インターネット)を活用した新たな中古本市場も大躍進だ。

古本のイメージは、貴重本の取り扱い。マニアの世界だ。ヲレが古本を手にしなかったのは、貴重な本が欲しいのではなくて、本を読みたかっただけだからだ。そして、今までは、簡単に安価で書籍を手に入れる手段が提供されていなかった。

中古本を流通させよう。資源回収に出してしまうなんて勿体ない。あれは、書籍を紙の集合体(物)としてしか考えていない。書籍の本質は中身だ。文化的、知的財産が一杯つまっている宝物。再生紙として利用するにはお金が掛かる。同じリサイクルならば、必要としている人へ流通させ、書籍本来の目的である読まれることを全うさせてあげようではないか。

中古本が流通し、本を読む機会が増えれば、全体の読書人口も段々と増えていく。中古本も流通するが、新刊書も売れる。本に親しむことができる環境ができてくれば、出版業界も活性化される。

ただし、基本的な考え方として、中古本に限らず、書籍はお金を出して購入すべき。タダで知識を得ようとするのは虫がいい話だ。それこそ著者や出版社を追いつめることになる。イコール、知的文化の崩壊、これだけは絶対に避けなければならない。

合併しない町で有名な矢祭町が図書館を造るに当たって、書籍をすべて寄贈にて賄うと宣言し、実際に全国から21万冊以上の書籍が送られてきた。一見、税金を使わずに良いアイデアだと思ってしまうが、問題は、矢祭町は、地方自治体ということだ。少なくとも公的施設である図書館を運営しようとするのであるから、その蔵書は、著者は出版社に相当の対価を支払って、その(本の)中身の知的財産を住民に提供すべきである。

書籍は、紙の集積であるが知の集積である。知は無形物であるが財産である。だからタダではない。けれども、知の集積物が、簡単に再生紙にリサイクルされるのは辛い。中古本を流通させ、その著者に感謝し、新たな文化を創造させよう。ここ数年、中古本を購入し、その恩恵を授かった者としての素直な感想だ。