本に対する価値観の変化
お金がない。そんなことはもう何年も言っているからなんてことはない。それなりの生活はしている。無い、無い、無いと言いながら、ちょっと前まで変わらなかったのが本に対する姿勢。
小説など読み初めて30年ほど。ずっと新刊書を買い続けてきた。就職するまでは文庫本。就職してからは単行本を湯水の如く(今、考えればですが)買い続けてきた。
けれども、ヲレにとって「本を読む」ということは、食事、排泄、睡眠のように、いやいやそういう生理的欲求なことではなく、歯を磨くとか、寝るときは靴下を脱ぐとか、テレビを見ないとか、そういう生活パターンの一つのように考えていた。
必ずしも貪欲な知識欲を満たすためなんていうことではないのだ。だから、未だに無知であるし、鈍くさいのである。過去30年間の本を読むというエネルギーをもう少し知的な方向に向けていたら、もう少し違った人生をおくっていたかも知れない。
で、最近はだ。新刊本をまず買わない。新刊本を売っている書店に行かない。なぜなら、今読まなくてもいいと気がついたからだ。何らかの文字を目で追っていればいい。手に本の重さや触感、本の本の匂いがあればいいのだ。
ブックオフで目に止まった本を買う。105円本だけ。じっくり探すと面白そうな本が何冊も見つかる。気になったけどつまらないかもしれない、こんな本もどんどん買う。失敗しても105円。とっても気が楽になった。
どうしてもという本は、Amazonマーケットプレイスで程度の良さそうな奴を半額以下で。これ目的あって購入しようとするものだけ。送料込みでも、驚くほど安く手に入る場合がある。
でも、弊害はある。
真新しい新刊書を開くときの、つい姿勢を正したくなるような緊張感が無くなった。それから、どこか人生が投げやりになったような気まずさ、挫折感もある。これらは慣れかもしれない。いかがなものかと思いながらも、どうにも新刊書は買えない。結局、そこに集約されるのだ。