ひきこもりカレンダー

しかし、久しぶりに本気に不愉快になる本を読んだ。なんだこれ。事実と本音がこれでもかと書かれているのだろうが、人に読まれるということを前提とした出版物として、あまりにも身勝手な表現と屁理屈にイライラする。

ひきこもりカレンダー

ひきこもりカレンダー

おそらく、それは健常者の理解の無さと猛反発がされるのだろうが、著者には弱者であることが特権と勘違いし、それらを支えているのが何であるのかの理解がない。だから、贅沢、我が儘と思われてしまうのだ。

自分の含め、かなりぎりぎりのところで耐えている人は沢山いる。もちろん自分の過去を著者と比較してみれば、恵まれているかも知れない。でも、君が最低ではないということを知るべきである。

何の希望もないこのような本を出してなんの意味があるのか。

私の知人で長い間ひきこもりで苦労をし、今やっと社会に出ようと頑張っている奴がいる。ヲレは何時間、何日も、何年も、聴いて欲しいと言われれば話を聴き、彼を理解しようと努力してきた。そんな彼が頑張っている。社会一般で言えば、彼はまだまだだ。でも努力をしている。波があるがそれを乗り越えようと僅かずつ前へ進み始めている。

著者は、何か一つでも感謝しなければならないことがあるのではないか。すべてを否定することが正義ではない。