テレビと電話と郵政民営化

黒糖焼酎

普段はあまりテレビを見ない。映画は絶対にテレビでは見ない。なぜなら見たくもないCMを見なければならないから、またそれに思考を中断されられるからだ。同じ理由で電話も嫌いだ。こちらの都合に関係なく掛かってくる。「急がしいところ悪いね」くらいの配慮が欲しい。そうすると、やっぱりメールがいい。記録が残るし、受けるほうもじっくり考える時間も取れる。


見たくもないCMはいくらでもあるが、テレビの電源を落としてしまうCMもある。最近では、「ジャパン・ホーム・****」っ奴。不愉快、やかましい、いらいらする。実は、本当にそのCMを見る(聴く)と、番組が途中でも見るのをやめてしまうことがある。他のスポンサーからするといい迷惑だ。


話は戻ってメールの話。このメールとはE−mailのこと。インターネット普及で限りなく葉書とかを使用しなくなった。あえてその姿を見るのは、惰性で続けている年賀状だけ。葉書を使用する必要が無いのだ。


連絡事項はメールですんでしまう、しかも瞬時に届く。画像も送れる、しかもしかも、タダ。こんなに有効で経済的なものはない。森林資源の保全にもなる。
企業ではメール便を使う。ヲレもメール便を使う。セブンイレブンにちょこっと寄って「メール便ね」ってカウンターに渡すと直ぐに手続きは終了。何も書かなくてもいい。しかも早い。その点、郵便局の窓口の段取りの悪さは、昔から何も変わっていない。郵政省の郵便事業がずっと横ばいなのに、宅配業者のメール便は倍々で取扱量が増えている。


なにを言いたいのかというと、テレビにしても郵便にしても、昔から当たり前にあるものが、実はそれほど既に価値がなくなっているのに、それを維持しようと暗闇の中で刀を振り回していることもあるのだということ。


侃侃諤諤の郵政民営化もよく考えてみよう。今、何が必要で何が必要でないのかを。