被災地のこと、宮城県東松山市、石巻港付近の状況
仙台市から少し北上し、宮城県東松山市・石巻方面の被災地を見てきた。このあたりは、震災があった2011年4月3日に一度、訪れているので、あれから2年、どんな復興がされているのか見てみたかったところ。
奥松島に向かう途中の野蒜地区、壊滅的な状況で何も残っていない。水も捌けていない状況で排水ポンプが設置されている。大型ダンプが仮設道路を頻繁に行き来している。その先では、橋の復旧工事をやっていた。
松島自衛隊基地と石巻港の間近辺。道路は仮復旧し、電信柱も新たに立てられいるが、それ以上の復旧・復興の状況は見られない。残った建物も使える状況ではなく、いずれ取り壊されるものと思われる。被災直後のこの周辺は、がれきの山だった。
現在の石巻港南部の住宅街の跡、被災家屋が点在しているが、これらもいずれ取り壊されるのだろう。これが復興と言うのかどうかというと疑問。
2年前の状況、中心の家屋が現在も残っている。見渡す限りこのような状況であり、その理不尽さに説明がつくものではなく、なにも言葉が出なかったことを思い出す。
2年前の状況、海岸線からかなりの距離にあるのに、根っこから引き抜かれた流木が流れ着いていた。こういった流木は至る所にあり道路の復旧の障害になっていた。
農地であったと思われるが、津波が通りすぎた痕跡だけで荒涼としている。流れ着いた生活用品やら車やらの残骸が残っているだけにむなしさを感じる。やさしくなりたい。
住宅街のところまで中型の船舶が乗り上げている。どれだけの津波だかだったのだろうか、想像するだけでも恐ろしい。
2年前の状況、多くの船舶が岸壁を乗り越えて陸に打ち上げられていた。人口の構造物は、自然の力、破壊力にはかなわない。
上写真と同じ場所の現在。岸壁は仮復旧がされているが、港としての機能がどこまで復旧しているか。クレーンや倉庫などの港湾施設が随分と少なくなってしまったような気がする。港の復旧には、やはり巨大な資金と時間が掛かるのだろうな。
行ってみると確かに活気は出てきている、ただし土建業者。でも、まだ片付けているだけなんだよね。あくまでも復旧の途中で復興ではない。仮設住宅などに住まわれている人たちの生活基盤がどこまで再生できているのか、ほんとうにわからない。もっともっとスピードを上げて取り組まなければならないのだろうな。ちょっと行っただけでは、正直、何も判らない。被災者・被災地は、どんな支援を求めているのか、どんな気持ちなのか。そういうところを見て感じてみたいと思う。