車が突き刺さっているという意見への考察

昨日、Facebookにこの写真を「車止めが無いことに気がつかず、もうちょい、もうちょいと前に出して駐車したら、こんな状態だった。あー、ぶつかっていませんよ。」と説明を付けて掲載したのだが、

信頼できる友人から「クルマが地面に刺さってるようにしか見えませんでした」というコメントを戴いて、「へっ」と思いながら、眼を細めたり顔を横にしたりして考えてみた。驚くべきことに、

こうすると、確かに刺さっているかなとも見える。というか、ブレイクダンスで頭を中心に逆さになってクルクル回っているやつ、あのイメージか(笑)ああ、そう見えますか。ちょっと考察してみます。

この縦の写真では、偶然だが緑の草が水平に生えている。間地ブロックは、手前から奥へと狭くなっているので、奥行き感がたっぷり。背景もグレー系だけなので、うん、確かに刺さっているなと見えないことはない。写真Bから車を取り除けば、もしかして存在する画にはなりそうだ。

横の写真もなんらおかしいわけでは無い。車は水平にあるのは普通だし、それに対して間地ブロックが迫っている。間地ブロックは手前から奥へ伸びているので奥川の方が幅が狭くなる。間地ブロックと駐車場の境に雑草が生えている。あっ、「雑草という名の植物はない」といったのは昭和天皇だったか。そんなことはどうでもいい。

この不思議を解決すべく残業続きでへろへろになっているのにもかかわらず、写真ストックの中を探索したら、もう一枚、証拠写真が見つかった。

ますます判らなくなってきたぞ。回転させてみる。

もうこうなると、これが車なのか初めて見た人には瞬間的には判らないかもしれない。

なんだか気持ち悪くなってきたぞ。

同じ写真でも、水平方向に反転すると、もうわけわからんですよ。

諄い!どれが本当なのかわからんくなったじゃないか。

ぎゃー、助けて、天井が迫ってくるみたい。ヲレは、けっこうな狭所恐怖症だったりする。

人間の感覚って不思議だ。写真を撮った本人は、その場の状況、つまりそれに至った経過、周囲の景色を把握している。だから不思議に思わない。けれども、どの写真もそうだが、判りやすいようにとそこに接近して撮影をしているので、情報量が非常に少ない。遠方に別の車があったり、立木や人が映っていれば、ああそうなんだと常識的な判断ができる。

以前、スキー場で猛吹雪に遭い、前も後ろも上も下も雪で覆われ、風は谷から吹き上げ、まさにホワイトアウト。情報量が少ない上に非日常の状況に置かれれば、人間の感覚は激しく鈍る。上下左右の感覚がまったくわからなくなる。同じ事かな。

近寄ればよく見えるという訳では無い。遠目で見てみることも必要だし、一度、離れてみることも良い。長年連れ添った老夫婦が、連れ合いを無くした瞬間、その良さがわかるなんて話も聞く。金を失ってそのありがたみが判る。病気なれば健康であることが幸せだと悟る。仕事が嫌だ嫌だと言い続けて退職してみれば、やることなし。これは修行なんだと自分を励まし続け、ああ開放されたとペーパークラフトが完成すれば、寂しくなる。段々と支離滅裂になってきたが、まあ、そういうことなんだという結論に至って今日も一日が無事終わる。

おやすみなさい。