陽だまりに乾杯

子供たちが大きくなり、赤子のような基本的な生活な部分に手が掛からなくなった。その代わり、これから洒落にならないほどの教育費がかかるのだろうが、でもそれはそれで幸せと考えよう。休日の午前中、朝食の後、洗濯物を干したり片付けが一段落すれば、ヲレの時間。

寒い冬、陽だまりにMacBookAirを持ち出して至福の時間を過ごす。暖房器具は使わない、座布団と太陽熱だけ。でも、気持ちよく暖かい。柔らかな包み込むような暖かさは、自然の恵みだ。感謝しなければならない。

まずは、Dolce Gustoでコーヒーを入れる。読みかけの本を手元に置く。MacBookAirは、無線LANを通して外界と繋がる。Twitterは、距離を縮めリアルタイムな情報を提供してくれる。情報インフラの進展にも感謝しなければならない。

でも、この時間は、なるべく生産的な時間としたいと意識する。いや、大層なことではない。ろくでもないブログを更新するため、CotEditorを立ち上げポチポチと文章を作るだけ。Twitterは、便利だけれども慣れすぎると長文を作れなくなる。原稿用紙の1、2枚程度の文章くらいは、ささっと作られる程度の思考と技術は身につけておかないとダメ。人の役に立たないブログであるが、自分の記録と若干の練習として書き続ける。陽だまりの中、落ち着いて文章を練れる時間は貴重だ。

机の片隅には、ほぼ日手帳WEEKSとHi TEC C COLETO Lumio 0.3mm を置く。ふと思いついた仕事上のこと、やらなければならないことは、その場でメモをしておく。iPhone4やGoogle calendarでの管理もしているが、データの大元は、アナログ手帳だ。やっぱりこれに勝るものはないというのが、数十年の試行錯誤の結果。今のヲレの場合は、という条件付きではあるが。

疲れたらごろっと横になって、本を読む。陽だまりの中のアイス・ブレイク。横になれば、うつらうつらすることもある。時間に追われないゆるやかな場なので、それもオーケー。いいじゃないか。

まるで年寄りの戯言だ。はっはっはっ、よく考えてみるがいい。もう十分年寄りに近づいているのだよ。情けないことに最近は、まずは健康という意識も働いてしまう。昨夜も家人に「ヲレ、ジョージ・クルーニー阿部寛みたいな、かっこいい大人になりたい。」と言ったら、「爺や、貴方は、もう大人というよりも年寄りですよ。」と往なされた。軽く夢を打ち砕く一言だが、それが現実かもしれない。年寄りの戯言もでてくるはずだ。

普段、忙しい生活をしているから、こういう時間が貴重になるっていうもの。だから、陽だまりの時間を大切にしたい。もう、残された時間は多くはない。