浪江町、この現実を知るべき

東日本大震災、お盆月の月命日、2年5ヶ月が経過した11日、正規の手続きを取って浪江町に入りました。

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臨時通行証です。浪江町は、平成25年4月1日に区域見直しが適用され、原子力災害により3区域(避難指示解除準備区域、居住制限区域、帰還困難区域)に再編されていますが、帰還困難区域には立入ができません。

これまで町内に立入が出来なかったために、津波や地震による被災現場はまったく手が付けられておらず、雑草が伸び放題になっていること以外は、時間が止まったままの状態です。

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電柱も瓦礫もそのままです。一面、草原のようになってしまっています。

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道路の瓦礫は寄せられていますが、それ以外の瓦礫・船舶・車両・家屋はそのままです。

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請戸港、近くでは警察による行方不明者の捜索が行われていました。

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請戸地区、排水処理もままならない状態です。防潮堤は破壊され、大きなコンクリートの塊が散らばっています。集落があったところですが、以前の街の姿は想像ができません。海岸に向けて手を合わせました。

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建物の底部でしょうか。この塊だけでは、どこにどんな形で存在していたのかわかりません。津波の底知れない力はほんとうに脅威です。地震が来たら、一秒でも早く、1メートルでも海岸から離れることが、最善の策ではないかとあらためて感じます。構築物を当てにしては危険です。自分自身の命は自分で守る意識が大切です。

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国道6号より西側(山側)市街地の様子です。地盤が悪いのか、倒壊家屋が多くあります。解体作業は一切行われておらず、ここも震災直後の様相です。車はほとんど通らず、信号だけが点滅をしています。

 

復興どころか何も行われず時間だけが経過していく原因は、すべて原発事故の影響です。地震・津波という自然災害だけでも被害は甚大なのに、我が家の片付けさえもできません。もちろん我が家に戻ることもできません。その悔しさはどれほどでしょうか。このような状況になってしまった事実を決して忘れてはなりません。もう一度、考えてみるべきです。