八重バブルに沸く会津若松、鶴ヶ城、飯盛山、さざえ堂
まずは、鶴ヶ城、若松城とも言う。うっかり鶴ヶ岡城といいたくなるが、それは山形県鶴岡市の方。
なかなか立派であるが、鉄骨で再建された張りぼて。土台の石積みだけが当時のもの。にしても優雅な天守閣のお姿に涙する。会津戊辰戦争で猛攻に耐え抜いた堅牢な城、よく頑張った!と島崎三歩風に言ってみる。
お堀も大きく深い。石垣積みの見事さは、天守閣以上。見学コースにはあちこちに八重の桜の桃太郎旗が立っているし、特別展なんてのも開催している。でも、ヲレ、NHK大河ドラマ『八重の桜』は観たことはない。戊辰戦争と言えば、司馬遼太郎著『燃えよ剣』とか浅田次郎著『壬生義士伝』、木内昇著『幕末の青嵐』、もうこの三冊がヲレの教科書なんだよね。
白虎隊の悲劇、飯盛山にある十九士の墓。自刃した20名の内、生き残った1名を除くので19という数になる。
白虎隊は、この飯盛山まで敗走してきて、山頂から鶴ヶ城が落城しているのを見て自刃。白虎隊は、15歳から17歳までの年代で編成されている。我が家の長男と同じではないか。
さざえ堂を上から眺める。
変な建物だ。寛政八年、1796年の建立、国指定重要文化財。
龍が巻き付く正面入り口。左回りのスロープを昇る。
階段ではない、あくまでも緩やかな高齢者に優しいスロープだ。
振り返る。いわゆる踊り場はない。
六角なわけ。千社札が凄いことになっている。
最上階は太鼓橋になっていて、これを越えると再び下りのスロープとなる。結局、昇ってくる人に会わずに地上に戻るのだが、行きも帰りも一方通行ですれ違わない構造。すげー。すべて木造。何のために上って下るのか判らないが、我々日本人は、こういうレオナルド・ダ・ビンチみたいな奴がいたことに誇りを持つべき(大袈裟か)