LASIK(レーシック)手術を受ける(手術後編、その2)

いろいろな感想を徒然に・・・。

  • 翌朝の朝の景色

既に書いたが、手術をした日はホテルで一人で籠もりきり。テレビもパソコンも読書も禁止され、なにもやることはない。しかたがないので、ずっとホテルの小さな窓から都会の景色を眺めていた。その景色が段々とクリアになっていく。不思議な気持ちと、やり遂げ感が入り交じった。

その夜は、プラスチックの眼帯をテープで顔に貼り付け、それでもって目をこすってはいけないという緊張の二重苦で、よく眠れなかった。睡眠導入剤を服用したにもかかわらず、朝は5時に目が覚める。窓を眺めると、都会の朝の景色がとても美しく見えた。もちろん裸眼だ、感動した。

  • ものが大きく見える

手術を終えて、ホテルに戻る途中、昼食用の弁当を買うためにコンビニに寄った。お茶のペットボトルを買おうと棚を見るが、500mlのものがない。おかしいなあと思いながら何度も眺める。そして、気がつく。1リットルボトルと思っていたものが、実は500mlだったと。そのほかの商品を見てみるとすべて大きい。

例えば、文庫本は漫画コミックのサイズに、四六版が菊判というようにワンサイズ厚く大きい。タバコの箱も大きいし、ポッキーの箱も大きい。やたらと大きい。そういえば、MacBookも大きいし、自分の手も、鏡に映るヲレの身体も太くて情けなく見える。こんな太っていたかなあ。

近くに見えるということなのか、足が短く見える。距離感がおかしい。東京駅で階段一つ踏み外しそうになり、死ぬかと思った。子供達も大きく成長したように見える。同居人も太ったようだ。

今日で1週間経った。このサイズの不一致感にはかなり慣れてきたようで、違和感が少なくなってきた。本当のサイズが判らない。真実は闇。

  • 老眼との関係は、重要

数年前から手元が見にくくなってきている。けれども近視の場合は、眼鏡を外せば、手元はよく見えるので対処のしようがあった。寝ころびながら本を読むときなど、15センチくらい近づけて読んでいた。

レーシックによる視力回復後は、当たり前だが遠くにピントが合うようになる。その反動として近くにはピントが合わない。老眼の影響がもろに現れる。これは、事前検査で遠いもの、近いものの見え方は判るので、医者からは指摘がされている。「あなたの場合、少し近くのものが見えにくくなると思うよ。これは通常の老眼の症状だから、年齢と共にこの傾向が強くなるのは、仕方がない事ですよ。」

術後1週間の状態としては、そのとおりで、近くのものが見えない。文庫本を読むには25〜30センチほど離さないとだめだ。通常の事務作業とか、新聞を読むとかは、今のところ支障がない。

パソコンは、ちょっと影響があるかもしれない。WindowsXPのメインマシンが非常に見にくいのだ。パソコンには、本と違ってキーボードとかマウスとか使うので操作上の適正距離がある。本を読むときのように、手で距離を調整しない。そうすると、高解像度のディスプレイを使っているデスクトップのマシンの場合、文字自体は、以前より大きく見えるのだが、フォントの線が細くなり見にくい。

職場で使っているXGAのノートパソコン(XP)は、まったく問題ない。MacBook(1280×800)は、フォントが美しく非常に見やすい。ユーザビリティの重要性を感じる。レーシック手術後のエントリは、すべてMacBookからだ。実は、これに嫌気がさしていて、Windowsマシンを捨てたくなってきている。これは重大な後遺症の一つ。

いずれにしても、個体差があるので一概に言えないが、遠くが見えると言うことは近くが見えにくくなることもあるというリスクは、考えておくべきだろう。

  • ラーメンを食べる。マスクをする。

最後に、昨晩、夜中に術後初めてカップラーメンを食べた。当たり前だが、眼鏡が曇って本を読みながらラーメンを食べられないということない。マスクもだ。口からの息で眼鏡が曇るということもない。つまらないことだけど、重要だ。

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