犬に小便させるな、卒業式、仰げば尊し、儒教

「犬に」の前か後ろに「ここで」を入れた方が良いと思う。犬が膀胱炎になる。ポスターの方が後で貼られたと思われるが、貼った人、度胸あり。

もとい!

長男の小学校の卒業式。お別れの言葉で「お父さん、お母さん、いつも気をつかってくれてありがとう」はうれしかった。

最近の卒業式では、「仰げば尊し」は歌わないのだね。君が代は歌ったし、国旗も掲揚されていた。Wikipediaにはこんな記載。

その歌詞の内容が教師を崇めるものとして反発の対象となり、また、立身出世を呼びかけている事から社会情勢の変化に合わないとして

教師と生徒は対等か?どうして反発する?わからない。立身出世が駄目か?社会情勢にあっていないのは誰なのか疑問に感じる。くだらない。

そういえば、卒業式の後、謝恩会らしきもの(謝恩会という名称を使っていない)が行われたが、担任の先生は出席しないそうだ。否、出席できないそうだ。理解できない。長男の担任には、本当に世話になったと感謝している。長男も先生のことは大好きだ。随分、先生の元で成長させてもらった。素直に感謝したいし、長男は尊敬している。

Wikipediaの続き(抜粋)

2番の歌詞は、戦争が関わってくる内容の歌詞なので、現在ではあまり歌われず、小学校などの教科書でも省略されていることが多い。

そうか。「仰げば尊し」はメロディが先行し歌詞を深く理解していなかった。2番の歌詞の

身を立て 名をあげ やよ 励めよ 今こそ 別れめ いざさらば

の部分、日の丸振られて出征するイメージか。でも、これは親離れし社会へ出て行く比喩ともとれる、1番の歌詞からの流れから考えると。3番の歌詞では「朝夕 馴(なれ)にし 学びの窓」と続くので、戦争と関連づけるのもいかがなものか。歪曲の感あり。

明治17年に小学唱歌となったが、その時代の背景と現在の社会情勢とは異なる。異なるものを当時のイメージに当てはめて拒否するるのは、いかがなものか。まさに世知がない世の中。ヲレは、師を、親を、故郷を、国を尊ぶ姿勢は必要と思う。人間関係においては、儒教の考えをもっと一般的に取り入れるべきだと思う。