市町村合併と民意について

数日前の静岡新聞の「黒潮」に大変意味深い意見が書かれた。
大見出しは「安易に使われた民意」。つまり市町村合併をするかしないかの決定を市長などの自治体の長や議会が決めずに、住民投票にゆだねたことを批判している。論者は言う、住民投票で示された結論が本当の民意であるのか、と。

民意に問う・・・なんと心地の良い響きであろう。それは住民の意思を尊重しそれに従います、という聞き分けの良い好々爺を演じている。けれどもこの記事にもあるが、普段、自分のまちの予算書や決算書を目にする住民が合併の是非や相手を判断することができるのであろうか。少なくともヲレにはできない。

議員や首長選挙は、単に町の代表者を選ぶだけではない。そこには、自分たちが判断できない行政判断を委ねる大きな意味があるのだと思う。サラリーマンである自分には、役所がやっている事務や事業をすべて知ることは出来ない。精々、広報紙や新聞記事などで端的に知る程度である。だからこそ、チェック機能としての議会があり、自分たちの代表者として道路を造ったり福祉や環境などの事業を執行してくれる首長を選挙で選ぶのだ。

だからこそ、市町村合併の是非、合併の枠組みなどの判断は、専門家である首長や議会に任せるのが本来なのではないか。政治家が住民投票に委ねるは民意に問うのではなく、判断する義務の放棄に過ぎない。そんな政治家を選んだ住民にも責任があるというものだ。

そこで大切なのは、選挙時の一票。本当に重たいものである。新聞の記事の最後で、次のように締めている。

われわれ一般市民は、政治家の言葉の本質を見抜く目を養うことが求められていると思う。

民意を問わないことを良しとするモノではない。民意を把握しながら、やるべきことを実行していく政治家を選んでいかなければならない。それが民意とは幾分離れていることであっても行政のプロとしてやらなければならないことを自分たちが選んだ政治家が判断して実行するのであれば、それはそれで見守るべきでないか。

ヲレのまちでも秋に隣町との合併がされる。それは歓迎すべきことと思うが、実際には一住民としてなんら変化がないように思う。なぜなら、市町村合併は行政改革であり、私たち住民に影響が出てくるのは、合併後のまちづくり如何によるからだ。

今後は、自分たちが選んだ政治家が自分の首をかけて判断した市町村合併が本当の実を結ぶのか、しっかり見守っていく必要がある。

【最後に、遅筆堂(tipitu)から切なる願い】
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